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J-WAVE 完全レポ♪
ついにできました♪

J-WAVE●TOKYO REAL-EYES
【レミオロメンHistory】文字起こし!


せっかくだから強調してみる(笑)
お待たせしました~!(待ってない…?
学校から帰宅してババババっとやりました。
肩が痛いです(笑)どのくらいやったんだろう…。
タイピング能力がかなり上がった気が!

貴重なライブ音源は無かったです。なんでだろ~?
3人ともすごく良いこと言ってます(><)
巻いてたストールに首しめられながら頑張ったので(笑)良ければ見てみてください☆

***
real-eyesのブログで、実際に行った御坂町の写真が見れます♪



※誤字・脱字あるかもしれません。


―レミオロメン。藤巻亮太、前田啓介、神宮司治。山梨県御坂町で生まれ育った3人の幼馴染みが、2000に結成したロックバンド。

♪BGM粉雪

―現在この「粉雪」は100万枚に迫る勢いで、今尚、人々の心に響き続けている。3ピース、レミオロメン。バンド結成6年、彼らはこれまで、何を見て、そして何を感じてきたのか。我々は今一度、彼らの軌跡を辿り、そのスーパーノヴァとなりえたバンドのこれからに迫ることにした。

***
●DJ「えー、東京から出発して2時間弱。ノンストップで、山梨県は御坂町にやってきました。…のどかです。じゃあ早速、彼らがスタジオ代わりに借りてたっていう、神社の母屋。そっちのほうへ行って、どういう環境でレミオロメンは、数々の曲を作り出していったのか。原点を辿ってみたいと思います」

♪雨上がり

●DJ「甲府盆地の、はじっこのほうだねここは。盆地を見下ろすことができるくらいの高さにある場所。民家と農地の間にぽつんと、この母屋。3棟あって、一番おそらく大きな中央に位置する2階建ての母屋で、レミオロメンの3人は、1年間そこで集中してやるということで、格安でここを借りたと。音楽をすると環境と言うよりは、本当に一面畑…、ずーっと先に鳴いてるカラスの声まで良く聞こえたり、本当に今、何月何日何曜日でどのぐらい時間がたったかっていうのがわからない場所かな。今はもう本当にススキが生い茂って、足を踏み入れることができない…封鎖されてる状態だけれども、なんとなく3人がこう、時に悩みながら、時に笑いあいながら、いろんな音を出してるその音が、今にも向こうの母屋から聞こえてきそうですよ」

─この神社の母屋は、彼らがプロになるべく、レミオロメンというバンドに、最後のチャンスを懸けた場所。その時、群馬、東京、山梨と離れ離れに暮らしてバンド活動をしていたメンバーだったが、再び地元山梨に集結したのである。当時を神宮司君はこう振り替える。

●神宮司「3人ともそうなんですけど、就職しなかったりとか、学校やめたとか、まあ僕も休学して。で、バンドに専念していて。やっぱそういう、犠牲にしていくものがあったじゃないですか。普通の道に進まないというか…そういうリスクがいっぱいあったんで、そのぶん真剣に。あと、期限も決めてやってたんですけど、みんなが山梨に帰ってから、4月に戻って8月までに結果がでなかったらやめよう、っていう…」

●DJ「根詰めて、ガッとやって、その3か月で」

●神宮司「その年に亮太くんが大学を卒業して、僕も看護学校を休学して、啓介君も東京での仕事を減らして、山梨に戻ってみたいな。やっぱそういったところから、ガッとまとまっていって、神社もちょうどその時に借りることができて。スタジオ代がかかりますから、で毎日そこから、いい男たちがそこで音楽やってるなんて言うのは、面白いことですよね」

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―この母屋で、レミオロメンは数々の曲を作り上げ、そしてかけがえの無い時間を過ごした。我々は、さらなる共通点を探すため、この母屋を後にし、3人の母校である、御坂中学校に向かってみた。

●DJ「校舎の横にある非常階段、ちょっと上がってみました。これね、メンバーがお気に入りの場所ってことで来てみたんだけど、なるほど、グラウンドも見られる、それからちょうど盆地の全体も見渡すことができるし、周りに囲まれたその山々も一望できる場所なので、ほんとにパノラマが270度くらい広がってる場所で、こうやって見て回ると、ほんとに色んな景色だったり音だったり、風だったり人の暖かさだったり、そういうのが来て何時間かで感じてしまうような、そんな場所です。どこか他の場所ではなくこの御坂だったからこそ彼らの音楽が今の音楽になっていったんだなあ、っていうのをやっぱりこうやって見て実際に来てみてね、肌で感じて色濃く理解できるんじゃないかなって思いました」

●藤巻くん「自分にとってはなんか、良い材料だったんですよね、そういう表現していく…ストレートに言うよりも何かそういう景色だったりとか、風景とか、そういうものの中になじんでいってもらうと、例えばその気持ちが乱反射していって、違う角度で身体に入ってきたりとか、にじんでいってもっとすごいグラデーションになったりとか。そういうものを見てきたってことが、自分のリアリティみたいなものに深く関わってるとは思うんですよ」

●前田さん「やっぱ同じ景色見てるから、気持ちも共感できるとこを持ってるから…演奏するとか曲つくるってそういうことだし。その同じ景色を見てる3人がどう思うかみたいな。そういうのは…あ、こいつ今嘘で喜んでんのかな、ほんとはなんか悔しいことあったのかなっていうのは、お互い感じあってる」

―藤巻くん、前田くんが話したように、そこにはレミオロメンの曲の原風景が広がっていた。山梨県御坂中学校、ここは2004年3月9日、レミオロメンのライブが行われた場所。当日のライブは2ステージ、夜は地元の人たちを招いてのフリーライブ。そして昼は、母校での卒業生を送る会でのライブだった。この日は、バンドにとって初めて大勢の地元の人たちの前で演奏した日となったが、今回の取材で僕は、その3月9日という日付にまつわる、もう1つの、あるストーリーを偶然にも聞くことができた。話を聞かせてくれたのは、その卒業生を送る会にレミオロメンを呼んだ、まさに当事者。当時の母校の先生である。

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●DJ「えー、発起人のコウノ先生。そもそもどこにさかのぼるんですかね?」

●先生「3年生を送る会っていうのが毎年ありまして、生徒に生のものを見せようっていう会でもあるんですよ。で、レミオロメンってOBだし、来てくれるかなと思って、こちらの候補…3月8日か9日に御坂中学校に来て、ライブをしてくれませんか?で、余裕を持たせて2日間でどうですか?っていうふうにメールを送ったんですけど。あ、やっぱり無理かなあと思っていたところに、夕方職員室にメールがありまして、3月9日っていうのは本当にパチっとあって。で、その時は、3月9日っていう曲があることは知らなかったんですよ」

●DJ「おお、偶然なんですね。その時、そうやって実現したわけなんですけれども、それはもう、そこからはトントン拍子で」

●先生「やっぱり学校にロックバンドが来るなんてことは、とんでもないみたいな考えかたの教員もいますので、当日どうなるかな、とも思ったんですけど、一番最初に藤巻くんが、「立ちたければ立っていいんだよ」みたいなことを言って。それでみんな盛りあがってくれて。最初は職員も目が点になって…その企画を聞いたときに。けしらからんみたいな、感じの先生のかたも。終わった数日後、その3月9日ばっかり口笛で吹いててですね(笑)小さな町なんですけど、そっから出た先輩がほんとに、自分たちも上ることのあるステージで、すごい音を鳴らしてる…例えレミオロメンみたいになれなかったとしても、何か残ると思うんで。特別な1日だったんだなっていうふうに思いますね」

♪3月9日

―3月9日。メンバーの共通の友人の結婚式の日付をタイトルにしたこの曲は、2004年3月9日にリリースされた。そしてその翌年、2005年の3月9日には、アルバム「ether」リリース。同時に結成からわずか5年というスピードで、日本武道館、単独ライブをも成功させたのである。大舞台にたった彼ら。しかしそれは、周りにライブハウスが無いという土地がら、毎週末、長い時間をかけてライブハウスのある東京へ通いつづけた彼らにとって、決して簡単な道のりではなかったはず。ブレイク前夜のレミオロメンは、どんなバンドであったのか。彼が東京で初ステージを踏んだライブハウス、下北沢ガレージの店長に、当時の話を聞いてみた

●DJ「あの、一番最初にレミオロメンというバンドに出会ったのはいつなんですか?」

●店長「一番はじめに、ここに確か前田くんだと思うんですけど、音源を持ってきたわけですよ。その時僕のほかにもう1人いて、すごく面白いキャラクター…その前田くんっていうのがすごくいいキャラクターで、すごい面白い人がいるからちょっと聴いてみよう。って夜みんなで集まって音を聴いたんですよ。そしたらまあ、歌が良いバンドで、これはちょっと楽しみだなと。ただ山梨で…確か結成してまだ1年弱だったから、お客さんもまだあんまり来なそうだけど、まあこの歌っていうかメロディがすごいきれいだったから、早速オーディションどうかってことでうちの担当のほうから連絡して。それでオーディションを迎えたわけなんですけど」

●DJ「で、実際にはじめてみたショー、どういう印象でしたか?」

●店長「純粋に彼らの音楽と向き合ったときに、すごく伝わるものがあったんですよね。それでオーディションから上がったというか合格して、それから2002年ずっとやっていくことになるわけですね」

●DJ「都内在住でずっと活動してるバンドもいると思うんですけど、そういうアーティストとの違いってありました?」

●店長「はい、彼らがやっぱり山梨から来るってことによって、バンドの絆っていうのはすごく強いんじゃないかって感じたのと、あと前田くんが当時、ボーカルの藤巻くんの、とにかく歌がいい、この歌を活かすバンドを作りたいっていうことで、彼らの、歌とかメロディに対して良い意味で追求をしているスタイル…でそれがお客さんに届いてか、お客さんががーっと伸び始めたんですよ。やっぱりお客さんとちゃんと向き合っているバンドっていうのは、人を動かすことができたというか。とにかくやってることとやりたいことの辻褄があってるバンドというか、そこの美しさはありましたよね」

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●前田「そのころの俺は本当、そういうのに徹してたとこっていうのはあるかもしれないですね。というかその頃は、レミオっていうものを世に出していくみたいな、レミオっていうものをなんとかするってことに終始集中してて、それが苦しいんですよね。一番最初の一歩って。自分らが20歳…21歳くらいになったときなのかな」

●治くん「とりあえずあの時代はもうライブをバンバンやろうっていうことで。スキルアップのためとか、新しい楽曲をそこで試して、みたいな。で自分達でまた反省して直していくっていう。ライブやって成長していったんですよ、曲とかも」

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―バンドの過去を知る人の話を借りれば、自分たちの音楽に正面から向き合っていたバンド、レミオロメン。武道館ライブから半年ほど過ぎた去年、秋。シングル「蒼の世界」をリリース。さらに冬の訪れを前に、シングル「粉雪」をリリース。この2ヶ月連続リリースを境に、次第に音楽シーン以外のところでも、レミオロメンという言葉を耳にするようになったかもしれない。そして時は2006年。

●DJ「えー、レミオロメンの、2006年2月15日NHKホールでのライブ。今回のツアーで一番大きな場所だと言うふうにメンバーもMCで言ってたとおり、たくさんのお客さんが詰め掛けていて、今みんなちょうど道を後にしていくところです」

~お客さんのコメント

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●DJ「レミオロメンってこんなバンドなのか、って感じたりすることってある?」

●藤巻「レミオロメンはね、本当に3人ともたってる…感じはするんですよね。いい意味で寄りかからないというか。距離感がちゃんとあって、それぞれが責任を持って音を出してると思うし。その感じが、やっぱりこう…ミラクルを呼びますよね」

―レミオロメンについて客観的に語った藤巻くん。今度は、今全国ツアーを回る中で、どんなことを感じているのだろうか。

●藤巻「今回のツアーが、ホールツアーっていうことで、お客さんも席があって、その場所で楽しむというかね。そのためにはちゃんと1人1人に音楽を伝えていったりとか、みせていったりとか、MCで繋がっていったりとかっていうのがすごく大事になるんじゃないかなと思って。そういう意識は3人とも今すごく高くて。どう一番後ろのお客さんまで楽しんでもらえるかっていう…そういうのを考えてますね」

●前田「あのね、みんなに聴いてもらいたいだけ。たくさんの人に聴いてもらいたいだけで、音楽やってるし、たくさんの人に聴いてもらうってことは、一緒に感じあえるってことだから。そういうことをしていきたい」

●神宮司「今年はツアーから始まって、「蒼の世界」「粉雪」っていう楽曲もそうですし、その曲たちを届けてるじゃないですか。で、「粉雪」を通してうちらの音楽を聴いてくれる人の幅がすごく広がったと思うんですよ。親の世代とか、そっからまた子供とか…親子で見にきてもらったりとか、ライブですごく感じるんですよ。そういった意味では本当に、いろんな人に楽しんでもらえる音楽ができる、バンドになっていくんじゃないかなと思います」

♪粉雪

●前田「やっぱ売れるってことはすごいと思うし、100万枚目指します!とかそういうことじゃないと思う。100万枚になる、という意味があるというか。100万っていう数字じゃなくて30万とか何でもいいんだけど、そういう数字になる理由があるんですよ、そこには。それは楽曲だけじゃないし、内容だけじゃないし、全部自分らがやってきたこととか、周りにいる人とか。レミオロメンっていうのは俺ら3人のものでは絶対無くて、みんなのレミオロメンにもっとしていかないといけないし。俺らはそういうふうに抱かれたいし、みんなに。みんなのものになっていきたいというか。そういうふうに、もっともっとオープンになっていかなきゃいけない。その結果が、その数字だっていう。そこはあくまでも入り口。その先に何を自分らがやりつづけるかっていうことだと思うんですけど」

―とにかく伝えたい。みんなのものでありたい。そんな思いの中、このツアーも現在は折り返し地点にさしかかっている。3月1日にリリースされる新曲、「太陽の下」。ツアー中のリリースになる今回の楽曲について、藤巻くんはこんなふうに語ってくれた。

●藤巻「2005年くらいの僕らのテーマというか。精神的に開かれていきたいなというのがあったんですよ。最初は、心にあるこの感情は何だろうか、もやもや何だろうみたいなのを、内へ内へ掘っていく作業だったんですけど、曲をつくるっていうことは。だけどやっぱり外へ外へ向かっていく気持ちで作っていく音楽って違うと思って。どこまで開いていけるかな、っていうのが今楽しくて。で、「太陽の下」は、本当子供からもう大人までというか、みんなに分かってもらうような開かれた曲にしたいなっていう思いがあって。もっと言うと国境も越えていったりとか、ボーダレスな曲を作りたいと思っていて。実はニューヨークでレコーディングしたんですけど、「太陽の下」。で、ニューヨークでレコーディングして、その時はまだ歌詞は未完成だったんですけど。ピアノアレンジにして、すごく暖かい風味が出てきて。それを聞きながら、9・11の日があったんですよ、ちょうど。で、グラウンドゼロに行ってみたんですよ。そしたら「太陽の下」ってすごく暖かい曲で幸せなはずなのに、すごい切なくなってしまって。まあ後々考える思うとやっぱり、そこにいる遺族の方とかいっぱいいたんですけど…もう、会えなくなってしまった人たちで。そこで(だってあなたに会いたいから)って歌ってたんですけど、会えない人もいるんだな、っていうのがすごく痛烈に思って。会いたい人とか会いたいもの…そういうものに会えるって、どのくらい幸せなことなんだろう、その時間を本当に大事にして生きていかなければいけないんじゃないかなと思って。そういう思いがね、最終的に届いたらいいなって思って、詞を書きましたね」

♪太陽の下

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●DJ「レミオロメンが向かう先、どういう風に見えてる?」

●神宮司「まだまだまだまだ発展途上な。やりたいことがいっぱいあるっていうか、やってないことが多いような気がするんですよね。うちらにもっといろいろできるんじゃないかなと。…すごいバンドになりたいなと思いますよ」

●前田「まだ夢があるからできるというか、でもそれは…俺思うんですけど、それはあくまでも入り口なんですよね。そういう大きな記録とか、伝説っていうのはあくまでも入り口で、その先に何がやりたいかっていうのが無いと、絶対できないと思うんですよね。それたぶん、大学生が就職活動して、例えばこの会社に入りたい、その先に、自分が何をやりたいから…つまり会社に入るってことは自分の可能性をいかしたい、自分のやりたいことがあるから、会社っていうエネルギーを使う。使わせてもらうみたいなとこあるから、それもバンドも一緒だと思うんですよね。バンド通して、そういうものをやっていくっていうか。そういうことのくり返しを常に続けていくのが、すごい難しい。サザンオールスターズとかミスターチルドレンとかのライブを最近みさせてもらって、本当にいい先輩だと思ってるし。そういうところを何週もしてきてるし。あの人達みたいに続けていくっていうことの凄さとか重みみたいなのものを…デビューして2年、3年してわかるようになってきて」

●藤巻「すごいシンプルに、自分がいいなって思ってるものを信じて、やりつづけるっていうことですかね。もうそこに嘘をついてしまったら、もうやる価値は無いと思うんで。いいと思えるものを追求していきたいし。いいっていうものに出会える感動を大事にしたいですね。で、まあライブもそうですし、いろんな人に音楽を聴いてもらいたいなっていうのが大きくて。一期一会だし。そういう、1こ1こ大事にしていきたいなっていう思いはあるんですよね…。遠い未来のことはまだ分からないんですけど、1こ1こ大事にしていく先に未来がちゃんとあると思うし」

―現在のミュージックシーンで、スーパーノヴァとなったレミオロメン。メンバー、藤巻亮太、前田啓介、神宮司治。これからを語る彼らに見えるものは、自分の道を信じて、素直に進みたい。たくさんの人に、バンドというものを通して思いを届けたい、共有したい。というひたむきな姿だった。それは今回僕が実際に山梨で目にした風景のように、とてもすがすがしく、感情に訴えかけているもの、そのものだったのかもしれない。

【END】

改めて読むと長い(笑)
by yayanon | 2006-02-27 15:14
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